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 いま書きたいと思っている題材があって、そのことをお話したいと思います。
 長野県松本市に大正末期に創業した「竹乃家」という中華料理店がありました。子供のころ、井上デパートで買い物に付き合わされたあとなんかに、よく両親に連れて行かれ、五目焼きそばを食べさせてもらったものです。親父の機嫌のいいときは酢豚やシュウマイも注文してくれて、どれも本当に旨かったことを覚えています。
「竹乃家」という店はわたしたち家族にとって、特別な日に行く特別な店でした。中華丼もチャーシューメンも旨かったけれど、なかでも五目焼きそばは絶品で、東京へ出てきてからも、帰省するたびに大糸線に乗り換える前にまず松本で下車し、「竹乃家」に寄って五目焼きそばを食べることを無上の喜びとしていたものです。
どの地方にもそういうお店はあるものだと思いますが、ぼくは「竹乃家」という店は松本の食文化のひとつだと確信していましたし、客たちにとっての財産だと思ってきました。
 お袋も親父も祖父たちに連れられて子供のときに何度か食べたことがあったでしょうし、私もいつか娘を連れて行ってやりたいと思っていました。これが日本で一番旨い焼きそばなんだよ、と。ぼくは客としては四代目であり、娘は五代目の客になるはずだったわけです。
 その「竹乃家」が、突然に閉店してから、もう三年にもなるでしょうか。建物も取り壊されて、跡形もなくなってしまいました。で、もっと残念なことは、松本の人々の記憶からも、いまや置き去りにされようとしていることです。
 池波正太郎は著書「むかしの味」のなかで「松本に住み暮らす人々はもとより、たとえ一年でも松本にいた人ならば『竹乃家』を知らぬはずがない」と、本文で書いています。「竹乃家」は池波正太郎にとってもお気に入りの店だったようです。
 あの味はいま、辛うじて初代の孫娘の方がご主人のシェフと信州大学病院近くの小松プラザというところでやっておられる
「れいざん」http://www.mcci.or.jp/www/reizan/
というお店に受け継がれてはいますが、「竹乃家」そのものでないことは言を待ちません。

 ぼくはしがないライターだから、食べ歩きの記事は何度も書く機会がありました。ラーメンに熱狂して列に並ぶ人たちを見て、実際その列に並んだことも何度もあります。
仕事でもプライベートでも、何度か行列に並んだ経験がありますが、その店が旨いとかマズイとかいうことではなくて、年齢的なこともあるのでしょうが、どうしても列に並ぶ人々への異様さと違和感を拭うことができないでいたものです。
 それは多分、こういうことです。
 彼らは列に着いてラーメンを食べる。そのことで完結を手に入れ、次ぎの店へと向かう。この国はきっとだんだんダメになっていくんだろうな。自分自身もそのことに大きく荷担しているのだな。といったようなことです。
 ぼくは上野公園の近くに住んでいて、あそこは散歩コースです。ぼくのような居職の人間は用も無いのに歩き回ったりしているのです。去年のひどく寒い朝のことです。ホームレスに食べ物を配る場面に遭遇しました。たぶん韓国系の宗教団体ではないかと思われますが、教祖という人のハングルによるかなり長いお説教があって、みんなで歌を歌います。それから食べ物が配られるわけです。そのときは温かい缶コーヒーとアンパンが手渡されているようでした。ぼくはそれを遠巻きにずっと眺めていたのですが、突然背後から、
「おまえはどうして列に並ぼうとしないのか」
そう声をかけれらて飛び上がるほど驚いたものです。
「いや、ぼくはーー」としどろもどろで答えると、
「おまえは腹が減っていないのか。それとも列に並ぶのが恥ずかしいのか」
その六十年年配の男性はとがめるように、そう言ったのです。
 けっきょくぼくは列に並んで、温かい缶コーヒーとアンパンをもらうと、そのまま家に戻ってきました。それで自分の部屋で缶コーヒーを開け、アンパンを頬張りました。家内がどうしてそんなものを買ってきたのかと聞くので、事情は話さずにただ、買ったのではなく貰ったのだと答えました。コーヒーをひと口飲ませてよというから、それは断固として断ったのです。あのときの缶コーヒーとアンパンは、ほんとうに甘かった。

 食い物が旨いのマズイのなんてことはどうでもいいことで、大した問題じやない。大切なことはもっとほかにある。だけどさらに、旨い食べ物に出会えることの素晴らしさと至福は否定しがたい。ここの折り合いがつかないと、自分はたぶん、これからもたいした仕事はできないだろうなと思うと、ぼくはいつか「竹乃家」のことが頭から離れないようになっていました。

 長々と書きましが、ここでお願いです。松本の「竹乃家」をご存知の方、思い出をお持ちの方、ぼくにそれを教えていただけませんか。「竹乃家」のような店はたぶん、全国にあるのでしょう。初代は中国広東省の出身で、上海航路の料理人をしたあと、神戸に上陸しています。大正末期のことです。なにかご存知のかた、お話をきかせていただければありがたいです。


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